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2006年10月22日

秘伝のタレの物語。

焼き鳥を主食にするある国の物語。

築地の城主はなんとか市場をつくろうと、
焼き鳥にタレを塗ることを文化にしようと試みた。
そうすればタレを売ることができるという魂胆だ。

彼らの家臣は、
ありとあらゆる大手焼き鳥チェーンに分担して張り付き、
「タレがないと売れないよ。」と脅しては、
タレを売り続けていた。

その時の城主は「摩擦をおそれたらお前は卑屈になっちゃうぜ」と家臣に言い聞かせては市場を独占していった。

実際彼らは別の豪族たちにタレを作らせていた。
その豪族がたとえいいタレを作ったとしても、
必ずこの豪族を通さなけりゃいけなかった。
大手焼き鳥チェーンはこの豪族の資本が入り握られてたからだ。

育ちざかりの焼き鳥チェーンは必ずここの資本が入る。
それは彼らの鉄則だ。

そこで新橋にちょっと変わった城主が現れた。
「お前が変わらなけりゃチャンスは訪れないよ」と
口をついたように言う城主だった。

この城主は、とにかく秘伝のタレをつくることに専念した。

彼らは小さな焼き鳥店ばかりをドブ板営業する手法をとった。

つべこべいう焼き鳥屋の主人には、
「あー。これだから売れないんだなあ。」と言ってあえて売りつけない手法がうまく行った。
それだけこのタレには自信があったからだ。

このタレのレシピは秘伝とされていたが、
ニーズによって現在進行形で日々変化されるものだから、家臣によってレシピの改良がたえずなされていた。

この新橋の城主は、幕府に賄賂を送ったのがばれたため、
蟄居を余儀なくされたが、新橋の豪族たちは、彼がつくったタレの作り方を守り、城下町は反映をきわめた。

この豪族たちは、築地の城主がやっていたしくみというよりもタレ依存の商売だったため、若くして新橋を離れる者が多かった。

「このタレを他にもっていきゃあ俺は城を持てる!」

ある者は西新宿で城を持ち「もっと脳味噌しぼってみい!」といっては業績を伸ばし、ある者は銀座で城を持ち「自分でニンジンぶらさげてみい!」といっては業績を伸ばした。

でも。新橋のタレは新橋でもっとも効果があがることを
みんな知っていた。

だからこそ、新橋出身の諸侯たちは、バーやキャバレーに行っては、「新橋ではさあ」と新橋談議をくりひろげていった。

そういうこともブランディングに寄与したのか、
新橋の豪族はやはり強かった。

そこで六本木の平民の寺子屋の主が現れた。
「タレもしくみも大事かもしれないけどさあ、
みんなが仲良くすりゃいいじゃん」という言葉のもとに、
平民たちが集まった。
彼らは、どうしたらこの焼き鳥のノウハウを海外に売れるのだろうと真剣に語り合った。

築地も新橋も海外の市場を手に入れてなかった。
もちろん築地を参考にして目指す者も、
新橋を飛び出た者も
そこそこ業績を伸ばすものの、
本家を超えることもなく、当然ながら、
外貨を獲得するにはほど遠かった。


そこで六本木の平民はあることに気づいた。

焼き鳥の串を作っている奴らは世界を知っている。

じゃあ串を作っている奴らと仲良くすればいいんだと。

串を作っているからといって
焼き鳥を世界に売ることはできない。

たまたま六本木の連中は、
「焼き鳥をおいしく食べる方法」ということは
いささか知っていた。
そのわずか知恵で生計をたててたからだ。

ただ、
「なんでしょうもない知恵で生きてるんだよ」と、
各豪族からなめられていた。

でも六本木の平民の持ち前の根気に負け
いろいろな豪族があつまってきた。

ちょうどそのとき、
「オープンソース」の考え方がとりあげられるようになっていた。

この平民のもとに集まった豪族たちは、
お互いのノウハウを共有し、
あるときはノウハウを受けた方が、
そのノウハウのバグを直すこともあった。
こうして当初の「タレをどうやって外貨に結びつけるか」の目的はさておき、豪族たちはお互い「気づき」を与え合え、グローしていった。


そんなとき、あるメンバーからひらめきの一言が。


「タレじゃない。ソースでいったらどうよ!」



ofragrance at 19:45 │Comments(0)TrackBack(0)経済学  | 文化人類学


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