「不特定無限大」と自分の周りの「有限」。そして依存度。
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2−8の論理。これが崩れ始めている。 というか、初めからありゃしない論理だったりするのが、 いまリアルになりつつある。江戸の街に戻ったという方がいいのかも。
江戸みたいなちっぽけな街だと、噂も広まるのも早い。 だから江戸でいい商売をすると、全国津々浦々から それを目当てに客がやってくる。日本中が江戸の街に依存してたから。
2−8の論理とは、上位2割の得意客が全体の8割の売り上を占めるというものだ。 さらに、上位2割を大切にすると他のいいお客さんも外からひっぱってくれるという 正に他力本願なクチコミを期待しているお粗末な論理。
これは安定な市場では通用してきた。 「有限と有限」の対等な関係。 バーでいうと常連客みたいなもの。
おいらは、いろいろなバーのマスターと友達だけど、 常連のように見えて常連じゃない。 人によって店を使い分けてるからね。
だけど、各々の店の特性をよく知っているから、 友人がパーティに使うなんてときにアドバイスすると、 いきなり紹介した店にはおいら経由でドバっと売上を持ってきたりする。 マスターもおいらも全然依存していない。
そんなところの市場をロングテールなんていったりする。 アマゾンの売り上げの3分の1は、 売り上げランキング10万位以下の本のセールスだそうだ。 その売上依存の少ない無数の棒グラフの束を「ロングテール」といっている。
逆に大ヒット商品とマス広告で作り上げられたわずかな棒グラフの束は、 「恐竜の首」だ。もちろんそこで成立するビジネスはいつでもどこでもある。 ところが、変動が激しい環境や、 コミュニケーションが無数のトランザクションで行き来する環境では、 そればかり当てにすると大変な目にあってしまう。 変化に対応できないノロい存在。「恐竜」とはよく言ったものだ。
例えば、旅。 昔はガイドマップに依存していた。 でも、現地に行ったときに、 そこの詳しい友人に電話すると、 いいところを教えてくれる。 友人とそのいいところは別に結託しているわけではない。
例えば、出版社。 大手の出版社と広告代理店契約するには、 「月2000万円の売上をコミット」みたいに なかなか口座を作るのが難しい。 それは安定している時代に安定した収益をお互い確保する 「有限と有限」のWIN−WINの関係だった。 ところが、今では広告費を持っている企業が群雄割拠しているし、 発行部数も伸び悩み、おまけにインターネット広告がやってきたので、 代理店をえり好みしている場合じゃなくなっている。
例えば、電通(あ。失礼。他にも大手代理店はあります!)。 その逆の例もある。 最近の個人情報保護法の絡みで、 個人情報を扱うキャンペーンは PマークやISMS、BS7799みたいな セキュリティ規格をとっている会社しか 仕事を請けられない。 「いままでの仲じゃん」なんてことが通用しない。 「依存」の判断基準が変わってしまったのだ。
「有限と有限」の関係はもはや当てにできない。 「自分の周りの有限」と相対する「不特定無限大」という風にみないとね。
「不特定無限大」に対峙するには、 自分が求心力を持たなければならない。
そして「あっち側」に「特定の有限」を作らないことだ。 むしろ「特定の有限」を「こっち側」に作るしかない。
「こっち側」の「有限」を大切にし、 「あっち側」の「不特定無限大」は平等に扱う。 その「あっち側」が「こっち側」に依存すれば、 ロングテールの中で生き残れる。
じゃあどうするか、 「こっち側」の「有限」のネットワークの構築しかない。
例えば、IT業界。 この日本のちっぽけな「有限」な市場をつばぜり合いするのではなくて、 みんなで大同団結して「不特定無限大」の世界の市場に目をむければいい。 大同団結しちゃったら「あっち側」だって依存してくるだろう。
さておいらの場合。 縁あって自分に「依存」してくれる仲間がいる。 その仲間にいい仕事を持ってくるのがおいらの仕事。
この「有限」ネットワークは、 「あっち側」の「不特定無限大」の企業群よりも、ずっと大切だ。 なぜなら「あっち側の人」と「おいら」は依存関係でもなんでもないからだ。
昔のならわしなのか、金を払ってもいないのに、人間のクセで、 「あっち側」の人から「お前はどうせ依存してるんだろ!」 が前提でアプローチされる場合がある。
でも、そんなコトで、「あっち側」におべっかを使うと、 「こっち側」の仲間はおいらに愛想をつかすだろう。
「こっち側」の読者のみなさん、
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」っすからね。
赤信号だって、未来は常識じゃなくなるんすから。 |
ofragrance at 16:25
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