2005年09月10日
■鏡映写と便所紙の抗争のお話
ある国では、たいそう昔から鏡を使って映像を配信してました。
鏡局というところから映像を配信して数々の鏡の反射をつかって連携し
各家庭のカーテンやベッドや天井に映像を映すというものでした。
このサービスの面白いところは、
各家庭は家庭内の映写機だけ買えば、
あとは無料で、「犬のレース」や「鳩の混浴」
などの番組が見られるというしくみをとっておりました。
広告配信型のサービスをとっていたのです。
ただ弊害はおこりました。
鏡の基地の関係から、チャンネルは7つに限られ、
その利権も少数派が握っておりました。
広告に頼るシステムですから最大手の広告代理店が、
企業買収を阻止するように鏡局に出資するようなイビツな構造も
多少問題があったようです。
また少年たちの間では、なんで「奇数のチャンネルがないの?」なんて
いう素朴な疑問がお昼の投稿番組によせられることもあったようです。
あるとき映写機メーカーがリモコンを発明したところから、
ちょっとキッカケはおこりました。
広告を見る人なんかいないんじゃないか、という論です。
しかし杞憂に終わりました。
この種の映像広告は展覧会の絵のごとく、
芸術性の高いもので、賞とかも確立されておりました。
面白い広告はみんなでもてはやされる題材にもなりました。
「ブランディングには最適だ」なんていうロジックがちゃんとできていたのです。
またこの国は、おもしろいことに、
宣伝費を使うだけの担当は頭の弱い人がまわされるという風潮がありました。
一方、代理店の方はとっても賢い人種が集まってます。
これじゃ赤子に飴をあげて、
お守りの中に隠されている紙幣を簡単に引き出すごとくです。
おもわずすっげえやりたくなっちゃう百科事典的羅針盤。もうこれであなたもロックミュージックのさまよえる子羊になりません。
それからかなり時がすぎて、
な、なんと、トイレットペーパーで情報を伝えるという快挙がなされました。
通称「生きるインキ」が下水道を駆け巡り、
各家庭のトイレットペーパーに文字となってしみこむというのです。
もちろん国民はよろこんでつかいました。
なぜなら国民はチャンネルに束縛されることなしに自由に、
「生きるインキ」にこんな情報がほしいと託すことができたからです。
するとこんな論争がおきました。
「居間にいるときよりもお尻を拭くときのほうが
ちゃんと広告が伝わっているんじゃないの」
ということを唱える人が出始めたのです。
トイレットペーパービジネスは誰でも参入できる世界ですから、
それに賛成する人は多くいました。
しかもトイレットペーパーを回す回転数は把握できるため、
「お尻を拭いた分広告が見られている」というエビデンスがとれることも、
それを押しました。
「本気で動くんだったらつぶすぞ!」
旧社会の鏡側の代理店は意味もなく新世界のトイレットペーパーの代理店の連中に
おどしにかかったようです。
実際、便所紙媒体最大手のある会社は鏡局の株を買い占めようといいところまで
いくものの、ついに断念に追い込まれました。
でもそういう行為はとってもよいPRになるのも事実で、
実は結構確信犯みたいなパフォーマンスも重要だということが
わかってきました。
なかには
「メディアミックスでいけばいいじゃないか。
居間にいるときに興味を引き、トイレにいるときによ〜く吟味してもらえばいい」
なんていう人も出てきました。
とくに、持ち歩くテッシュペーパーは、メディアミックスの要として捉えられ、
「セカンドメディア」なんて、もてはやされました。
(つづく)
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